ケータイのはじまりは自動車電話ではなく、明治時代だった……って、

激辛つけ麺はトウガラシを全部いれないと気が済まないタチ。どうも、さとりです。
でもさすがに唇いたかったよ。。。
 
 
さて。
皆さまは携帯電話のはじまりってご存知でしょうか?
私も昔携帯を売っていたはしくれ、某柔らか銀行の前身、Jぽん時代に社内研修で「自動車電話です」と習いました。
(近所の銭湯には今でも、自動車電話の電話番号の乗った広告があって年季を感じさせます)
 
で、アナログ電話(第1世代)はデジタル方式(第2世代)へ、日本独自の「PDC方式」(ドコモのムーバ、Jぽんの後釜Vぽん時代の「30x〜60x」がそれ)、FOMAVGS(懐かしいな、これ、あんまりはやらなかったよね)の「WCDMA方式」(第3世代)、→第4世代の一歩手前「LTE方式」にプラチナバンド合戦。
サービスの移行で言うと、ショートメール→Eメール→写メール→着うたやムービー→おさいふケータイや赤外線通信。。。→スマホ移行。
 
私が初めて携帯を買ったときには画面は時計しか表示されなかったのに、今やPCと同じくらいのことができるのが当たり前、不思議な世の中ですよね。
 
ま、そんな歴史は我々携帯業界の基礎中の基礎なわけですけど。
実は、今日、タイトルのようなびっくりする記事を読んじゃいました。
 
ケータイ・スマホのこれまでとこれから
http://sp.oshiete.goo.ne.jp/special/20th/
 
この記事の中に、
「ケータイの原型は、なんと明治28年の実験」
とのアオリ文が。
 
まじでか!!
 
と、以下ネタバレ含むので、ネタバレいやーんな方は先に上の記事を読んできてくださいね。
 
 
 
 
 
最初に無線通信の実験が、明治28年なんだって。
 
 

さらには1895年(明治28年)のマルコーニによる無線通信の実験まで遡ることができるが、日本では1896年(明治29年)に逓信省(現在の総務省)が無線通信の研究に着手し、9年後の日露戦争の旧帝国海軍の哨戒艇信濃丸」が「敵艦見ユ」と発信したのが日本の無線通信第1号と言われている。

 この船舶用無線による電話サービスは、1953年(昭和28年)に日本船舶通信(現在のドコモ・センツウ)によって商用サービスが提供され始めた。また列車では1957年(昭和32年)に近畿日本鉄道(近鉄)が特急「ビスタカー」で提供したのが始まりだ。

 
 
確かに、鉄道はきいたことあるかも。
私の前のプロジェクトの上司が、確かJR系の通信の部署にいたとかなんとか。だった気が。
 
ドコモって船舶通信の会社も持ってるのねぇ。
ま、陸上特殊無線、海上特殊無線、と免許があるのだからあって当然か。
 
とまあ、こんなかんじなんだそうです。
でもこれ、携帯の原型って言っていいのかなぁ……まあ無線通信に変わりはないけども……
 
 
数年前、スマートフォンと呼ばれるNokiaの702がボーダフォンから出て、あまりの操作方法の難解さに「使っている人はレア」的な空気が漂っていたころ、私は「個人が自分の必要な機能を入れる携帯が出ればいいのに」と思っていた。
 
例えば、こんな風に。
 
携帯ショップの店頭で、使いたい機能を選んで、申込書に○をつける。
(例えば、カメラ、音楽、はいるけど、おさいふはいらない、など)
さらに、ガワのデザインを自分で選んで、同じ携帯を持っていても、機能はオリジナル、みたいな携帯システムができればいいなぁと思った。
 
もちろん、コストと時間が半端なくかかるから、実現することは難しいだろうとも思っていた。
 
今、iPhoneやアンドロイドを買えば、アプリの入れ替えをすることにより、オリジナル機能を取捨選択をすることはできるようになった。
けど、ガワまでは選択できない。
(や、カバーなんかを変えればできるだろうけどさ)
 
スマートフォンになって、個性のある携帯デザインが減ったことが、私が最近燃えないひとつの理由かもしれません。
私が携帯を売っていたころは、ひとつひとつの携帯に個性があるデザインだったと思うんだけど。
(デザインプロジェクト、なんてのもあったし)
Infobarスマホ版もあるっちゃあるけど、なんだか、盛り上がりに欠けるような気がしなくもない。
 
 
あの頃思い描いていたようなケータイが、この先やってくるだろうか。
 
 
それは誰にもわからない。
 
つか、作ってえろいひと!!!