涼宮ハルヒの

むこむこ(というんだそうだ)4巻を買いに行ったら、書店で涼宮ハルヒのアニメを流しているのを見まして。
アニメをやっているのは知ってましたが、実物を見るのは初めてで。ちょっと食い入るように見てしまいました(アヤシイ人)
それというのも、キョン*1の声が、銀サンだったからなの。銀サンの声でツッコミされてみなさい。そりゃたちまちどころに振り返りますよ。今の聡梨なら尚更。
小説は5巻まで持ってたので。流れてるところのストーリーは大体わかりました。1巻のはじめらへんだったよ。
にしても、どこかで誰かが小説原作のアニメは成立しないって言ってたけど。その通りだと思いました。
せっかくアニメなのに、動きが舞台俳優みたいなんですよ。
恥ずかしながら少し昔、映画(もどき)と舞台(の手伝い)に関わったことがあるので少し話をさせてもらうと。映画は奥行きがあるので魅せ方に色々幅を持たせることができるのですが、舞台は奥行きが限られている(セットはあるけど限られている)ので、舞台の向こうとか見る手の想像力でシーンや場面を補ってもらわなきゃな部分がある。らしいです。誰かから聞いた話なんですけど。
その想像力を使ってもらうために、役者さんたちは少し大仰な芝居をするらしいのですが、まさにそんな感じのキャラの立ち回りだったのですよ。涼宮ハルヒのアニメが。せっかくの奥行きを活かしきれていないから、キャラクターが活き活きとしていない。まるで会議のVTRを見せられてるみたい。
それに、ただでさえ小説は漫画に比べてキャラクターのセリフが長いので↑のようなことが起こりやすいのに、涼宮ハルヒは、キャラが持論を長々と語り合ったりする場面が多いので(言わずもがな古泉くん)、余計にそう感じられたのかもしれません。
小説としてはすごく面白いんですけど、小説とアニメは別物なんだなぁ(まあ一口に小説といっても色々あるでしょうけども)と感じた瞬間でした。
んで、久々に5巻まで全部を読み返してみました。
最初読んでた頃ははっきり言ってちんぷんかんぷん(スミマッセン私頭悪いもんで)だったんですが、今読んでみると、確かにSFチックな部分は理論がいろいろ書いてあって正直よくわからないところもあるんですけど、全体的なストーリーはそこまで難しくなく、アレなんで昔の私はこれが全然理解できなかったんだろうって読後すごく悩みました。
これは私の頭が多少なりとも進化したと喜ぶべきなのか、それとも昔の私がアホだっただけと疑うべきなのか、それとも単に映像化して具体的なイメージがつかめただけなのかそうか映像は偉大なのか、どれが本当の理由なのかはあえてツッコミを入れて欲しくない今日この頃だったりします。
そして5巻は果てしなく伏線がはられた状態で終わってて激しく続きが気になったのにどうして昔の私はここで放っておいたんだろう。
(それは簡単。単行本が当時5巻までしか出てなかったからなのさ♪)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

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ようつべで中国語の字幕がついたアニメ(原作1話部分)をハケーン。ツッコミが銀サンにしか聞こえない。
便利な世の中になったもんだね、マジで。おかげでDVD市場は大変なことになりそうだが。
初めて使ったよYou Tube

↓続き。すげー銀サン。

↓続きの続き。ナローな方、ふらっす入ってない方ごめんなさい。

*1:主人公その1くらいの男の子。語り部でツッコミ役。銀魂でいうところの新八